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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)9594号 判決 1985年8月26日

原告 松島隆

被告 東京急行電鉄株式会社

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一五八九円及びこれに対する昭和五四年一一月二六日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨の判決を求める。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  被告会社は、電車及びバスによる旅客の輸送を業とする会社であつて、原告は、被告会社の従業員で自動車部淡島営業所に所属し、整備掛員としてバスの整備作業に従事している。

2  昭和五四年一〇月三〇日(以下「本件当日」という。)の原告の勤務時間は午前九時から午後五時五分までとされており、これに従い原告が就労しようとしていたところ、午前一一時二〇分ころ、被告会社は原告の就労を拒絶した。

3  昭和五四年一一月分(同年一〇月一六日から一一月一五日まで)の賃金支給日である同月二四日、被告会社は、原告に対し、本件当日分の賃金について午前一一時二二分から午後五時五分までの間の勤務時間四時間五八分を不就労扱いとし、右四時間五八分の基本給三九七三円の六割を支給したにすぎず、その四割に相当する一五八九円の賃金の支払を行わなかつた。

4  よつて、原告は、被告に対し、未払賃金一五八九円とこれに対する履行期の到来した後である昭和五四年一一月二六日から完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因事実はすべて認める。

三  抗弁

1  原告は、本件当日の朝の点呼時に、縦一〇センチメートル、横一四センチメートルの硬質プラスチツク製透明ケースの中に「対権力差別糾弾実力闘争で狭山再審棄却を阻止せよ」等と記載した紙片を入れた別紙図面記載のようなプレート(以下「本件プレート」という。)を左胸部に着用して就労しようとした。被告会社淡島営業所の一柳昭治助役は、その場で、原告に対し、本件プレートを取り外すよう命じ、「プレートを外さなければ仕事をさせない。」旨述べたが、原告は、これに応じず、本件プレート着用のままバスの整備工場に入つた。そこで、同営業所の浅野営業所長は、午前一一時二二分、「プレートを外さない限り就労させない。賃金も支払わない。」旨述べて原告の就労を拒絶した。

2  本件プレートを着用したままで就労することは、次のとおり労働契約上の債務の本旨に従つた労務の提供ないし履行とはいえないから、原告が就労を拒絶されて就労し得なかつたとしても、これは専ら原告の責めに帰すべき事由によるものであり、原告は不就労分の賃金請求権を有しない(ただし、被告会社は、あえて、会社都合による休業の場合と同様に、労働基準法二六条の定める賃金の六割を支給した。)。

(一) 労働契約の本質上、労働者には、勤務時間中は使用者の業務命令に従い誠実に職務を遂行すべき義務があり、したがつて、職務遂行に関係のない行為をしてはならない義務がある。被告会社においては、この趣旨をふえんして、就業規則八条で「従業員は会社の諸規程および上長の指示にしたがい、上長は所属員の人格を尊重して、誠実にその義務を遂行しなければならない。」と規定している。勤務時間中における本件プレートの着用行為は、着用行為が同時に対外的表現行動であるという性質をもち、労務提供と同時に職務遂行とは全く無関係の私的言動をすることに外ならないから、右のような職務専念義務に違反する。

(二) 本件プレート着用行為は、原告の所属する東急労働組合の組合活動として行われたものではなく、原告が自己の主張を勤務時間内に表現するために行われたものである。また、本件プレートの内容は、いわゆる政治活動に属し、被告会社の業務とは無関係の事柄であつて、しかも、職場の労働者に対して無断職場離脱を扇動するような訴え掛けを包含するものである。このようなプレートを勤務時間中に着用することは、同じ職場に働く他の従業員に対し、直接的にその注意力をプレートに引き付けて職務に対して散漫にならせ、かつ、職場内に異様な雰囲気、緊張をもたらすことにより間接的にもその注意力を職務に集中することを妨げ、職場内の規律、秩序を乱すことになるから、職場規律に違反する。

(三) 道路運送法二六条一項は、旅客運送事業が公共的、公益的事業であることにかんがみ、従業員の服装を厳正にすることによつて交通安全と規律保持を確保し、もつて交通機関に対する社会的信頼を確保すべく、旅客又は公衆に接する従業員に制服を着用させることを義務づけている。被告会社においては、その趣旨にのつとり、自動車部係員服務規程六条で「自動車部係員は、所定の制服を着用し、常に服装に注意するとともに、懇切丁寧な態度をもつて、旅客および公衆に接しなければならない。」と定めている。そして、原告のような現場作業員においても業務遂行中に旅客又は公衆に接する機会は存し得るのであるから、本件プレートを着用して就労することは、右の服務規程が定められた趣旨に抵触し、これに明白に違反する。

(四) 被告会社においては、就業規則九六条一項で、作業の安全を期するために「従業員は、安全管理者その他関係者の指示にしたがい、別に定める安全作業心得を守り、常に職場を整理整頓し災害防止に努めなければならない。」と定め、これを受けて制定された自動車部安全作業心得の四条で「帽子は正しくかぶり、服の釦は全部掛け、上衣のポケツトの蓋は外に出し、常にキチンとした服装で働くこと。……腰に手拭を下げたり、その他不要のものを身につけないこと。」と定めて、所定の制服以外のものの着用を禁止している。これは、所定の制服以外のものを着用すると、作業中にこれが機械に接触し、挟まれるなどして、本人又は同僚の生命、身体に危険を生じさせ、当該業務に停止、中断の事故を招くおそれがあることから定められたものである。本件プレートはその形状からみて作業の安全を害するおそれが大きく、これを着用して就労することは、右安全作業心得に違反する。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は認める。同2のうち被告主張のとおり就業規則、自動車部係員服務規程及び自動車部安全作業心得の規定が存在することは認めるが、その主張は争う。

2  原告の本件プレート着用は明らかに許容されるべき表現の自由の行使であつて、次のとおりこれを禁ずべき合理的な理由はないにもかかわらず、被告会社は原告がプレートを取り外さない限り就労させないとの業務命令を発して原告の就労を拒絶したものであるから、被告会社はその責めに帰すべき事由によつて原告の債務の履行を不可能にしたものであつて、原告は民法五三六条二項によつて反対給付である賃金を受ける権利を失わない。

(一) 就業規則八条は、単に誠実にその業務を遂行しなければならないことを定めるだけであつて、いわゆる職務専念義務を定める規定とは趣旨を異にする。本件プレートの着用行為は、就労前にプレートを着用した後は何ら原告の現実の身体の動作あるいは精神の働きを必要とするものではなく、原告の労務の提供に何らの変化を生ぜしめるものではないから、右のような誠実な業務の遂行とは何ら矛盾しないし、具体的にも被告会社の業務を阻害するものでもない。

(二) 本件プレートの着用は、後述のように正当な組合活動の範囲内のものである。また、プレートの大きさ、色彩等からして、これが特に他人の注意を引き強い印象を与えるものではないから、職場内で同僚の目に触れ一時的に注目されたとしても、その訴え掛けが長くこれらの者の脳裡にとどまり、業務に対する注意力を散漫にさせるものではない。現に、被告会社電気部変電区二子玉川園第一変電班に所属し変電所の保守整備の業務に従事していた木下豊は、本件当日、原告と全く同一のプレートを着用して就労したにもかかわらず、上長から一切その取外しを命じられておらず、また、これを理由に何らの処分も受けていないのである。これによつても、本件プレート着用により同僚に対し直接あるいは間接にその注意力を職務に集中させることを妨げ、職場内の規律、秩序を乱すという主張が根拠のないことは明白である。

(三) 就業規則九条及び自動車部係員服務規程六条は、道路運送法二六条を受けてこれを現場作業員にまで拡張したものであるところ、道路運送法二六条は、文言上も明らかなとおり、職務遂行上旅客又は公衆に接する者が従業員であることを表示する目的で、これらの者に制服を着用させることを義務づけている。これは、利用者に対し従業員であるか否かを容易に識別させ、もつてサービスの迅速な利用や危急時の適切な誘導を実現しようとするものであり、この目的の達成は、制服の上にプレート等を着用していたとしても何ら阻害されるものではない。また、同条は原告のような現場作業員に関する規定ではないから、現場作業員に制服を着用させているのは、専ら現場作業遂行上の必要、利便によるものにすぎない(現に、夏季においては、被告会社は上着を脱いで作業することを認めており、制服の着用自体が厳格に励行されていたわけでもない)。したがつて、制服の着用を義務づける規定があるからといつて、このことから直ちに本件プレートの着用が禁止されているとまで解することはできない。

(四) 自動車部安全作業心得四条の規定は、専ら災害防止処置に関する基準であり、その文言からしても、腰に手拭を下げるなどそれ自体作業の安全を阻害する態様での不要なものの着用のみを禁止しているにすぎない。本件プレートは、硬質プラスチツク製で胸部に密着して留められていたのであつて、それ自体、作業の安全を阻害するものでも、そのおそれのあるものでもなかつた。また、原告の本件当日に予定されていた作業内容は、車検整備の三日目であり、具体的には、プレーキ・エアマスターの交換、エンジンシヤフトの取付け、取外しと点検であり、本件プレートの着用により作業に具体的な支障が生じるとか、付随的に危険が生じるといつた作業ではなかつた。したがつて、本件プレートの着用は、安全作業心得四条に違反しない。

五  再抗弁

1  原告の本件プレート着用は、労働者にとつて部落解放運動への取り組みが自らの解放のために不可欠であり、とりわけ本件当時においては、いわゆる狭山事件の再審を実現させて石川青年を救うことが部落解放運動にとつて最重要の課題であつたとの状況下で、東急労働組合の組合員に対し、部落差別に関して労働者として自覚し、自らの問題として反対闘争に参加すべきことを訴えたもので、その内容も正当なものであるから、まさに組合員の意識の向上と労働者階級としての団結の強化を目指して行われた正当な組合活動に外ならず、法的保護を受ける。

2  東急労働組合の組合員は、昭和四七年から昭和五七年までの間の春闘においてスローガンを記載したワツペンを肩に着け、春闘あるいは国政選挙ごとに各々のシンボルマークを表わしたバツジを胸に着け、また昭和四九年の春闘中に同組合自動車支部弦巻分会所属の組合員は、赤地に「団結」の文字を白抜きした腕章を着け、更には、昭和五三年二月に原告を含む四名の被告会社従業員は、三里塚闘争に関するスローガンを記載した本件プレートと同様の大きさのプレートを着用したが、被告会社はこれらに対し何らの注意、警告、制裁等を行つていない。したがつて、被告会社においては、組合活動のための勤務時間中のプレート等の着用は、労働者の慣行的権利として承認されている。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の主張は争う。原告の本件プレート着用は、東急労働組合の組合活動としてされたものではなく、原告がこれとは関係なく個人的に行つたもので、組合活動といえるものではない。

2  同2の事実中、東急労働組合の組合員が春闘時に私鉄総連のワツペン、バツジを着用したことがあることは認めるが、その余の事実は否認し、その主張は争う。これらの着用は、東急労働組合からその形状、着用期間を定めて着用の承認を求められた場合に、被告会社がその材質、形状、記載内容等を検討して安全上許容すべき範囲内で認めているにすぎず、ワツペン等の着用が慣行として許容されているものではない。

第三証拠<省略>

理由

一  請求原因事実(当事者、就労拒絶、賃金の一部不払)は、すべて当事者間に争いがない。

二  本件事案の経過

抗弁1の事実は当事者間に争いがなく、この事実に、証人高岩昌興の証言により原本の存在と成立が認められる甲第一ないし第四号証、成立に争いがない乙第一号証、第三ないし第六号証、第九号証、第一一号証及び第一二号証、証人一柳昭治の証言により被告会社自動車部淡島営業所におけるバスの整備作業状況を撮影した写真と認められる乙第七号証の一ないし二一、同証言により本件プレートの模擬着用状況を撮影した写真と認められる乙第一〇号証、同証人及び証人樫原博昭の各証言並びに原告本人尋問の結果を総合すれば、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

1  原告は、本件当日、被告会社自動車部淡島営業所に出社して所定の制服(作業服)に着替えた上、上着の左胸部に本件プレートをピンで留めて着用し、同営業所事務室で午前九時から始まる点呼に臨んだ。原告が着用していた本件プレートは、縦一〇センチメートル、横一四センチメートルの硬質プラスチツク製透明ケースの中に「対権力差別糾弾実力闘争で狭山再審棄却を阻止せよ、狭山差別裁判粉砕、石川氏奪還、狭山スト・職場放棄で決起せよ、労働者狭山スト共闘、労活評東急班」と大きく記載した紙片を入れたものであり、その形状はおおむね別紙図面記載のとおりであつた。原告が本件プレートを着用した動機は、原告がかねてよりいわゆる部落解放問題に関心を抱き、部落差別と闘うことは労働者の義務であり、いわゆる狭山裁判は部落差別に基づくものであると考えていたところ、当時その再審請求が棄却される事態が予想されるところでもあつたので、この問題に取り組む部落解放中央共闘会議や部落解放東京共闘会議の行動要請にも沿うものとして、職場の労働者に対し、狭山裁判の再審開始を勝ち取るべく闘うことを訴え掛けるためであつた。

2  同営業所の一柳昭治助役は、点呼の際、原告が本件プレートを着用しているのを発見したので、点呼終了後直ちに、原告に対し本件プレートを取り外して作業することを命じた。しかし、原告はこれに従おうとせず、本件プレートの着用が認められない理由を明らかにしてその取外しを命じる一柳助役との間に、一五分から二〇分の押し問答が続いた。その後、一柳助役が自分に掛かつてきた電話に応対し、浅野営業所長に経緯を説明しているうちに、原告は作業現場であるバス整備工場に赴き、当日予定されていた作業を開始しようとした。

3  原告の本件当日の作業内容は、バスの一二か月点検(車検)の三日目であつて、バスをリフトやジヤツキで持ち上げてその下に入つたり、地中に掘られているピツトの中に入つてバスの下方から手を伸ばして行う作業も含まれていた。そのため、作業対象部分が車体の深部や底部などである場合には、かがみ込んだり、バスの下方に寝そべつたり、身体を機器に密着させるなどの動作を余儀なくされ、作業員の体格や作業方法により多少の差異はあるにしても、作業中身体に不要なものを装着していると、これが作業の支障となる場合もあることは一概に否定し得ないものであつた。

4  浅野営業所長は、被告会社本社に赴き、原告の本件プレート着用について自動車部計画課加藤係長に報告したところ、同係長から原告がプレートを取り外さない限り就労をさせないように指示を受けた。また、同所長は原告が所属する東急労働組合自動車支部淡島分会の渡辺分会長に事情を説明し、渡辺分会長は原告にプレート着用をやめるよう電話で説得したが、原告はこの説得に応じなかつた。

5  その後、淡島営業所に戻つた浅野営業所長は、原告に対し、再度プレートを取り外す意思がないかの確認をした後、午前一一時二二分、本件プレートを着用したままでの就労は認められない旨通告した。これに対し、原告はプレートを取り外すことを拒み、結局、本件当日に原告が行う予定であつた作業は代替員が行い、原告は、本件プレートを当日の勤務時間終了まで着用し続けて、ついに就労することがなかつた。

6  被告会社の就業規則八条は「従業員は、会社の諸規程および上長の指示にしたがい、……誠実にその義務を遂行しなければならない。」と定め、九条は、「従業員は、勤務時間中所定の社員章または制服制帽を着用しなければならない。」と定め、九六条一項は、「従業員は、安全管理者その他関係者の指示にしたがい、別に定める安全作業心得を守り、常に職場を整理整頓し災害防止に努めなければならない。」と定めており、また、自動車部係員服務規程六条は、「自動車部係員は、所定の制服を着用し、常に服装に注意するとともに、懇切丁寧な態度をもつて、旅客および公衆に接しなければならない。」と定めているほか、就業規則九六条一項の規定に基づく自動車部安全作業心得四条六項は、服装の整備として「腰に手拭を下げたり、その他不要のものを身につけないこと。」と定めている(以上の各規定が存在することは当事者間に争いがない。)。なお、被告会社におけるバス整備作業員の制服の着用状況については、公衆の目から離れた場所で行われ、かつ、安全上も支障のない作業の場合には、夏季に上長の裁量により制服の上着を脱ぐことが黙認されることもあつたが、これ以外の場合には、勤務時間中は制服の着用が励行されていた。

三  労務提供及び就労拒絶の適否

以上の認定事実に基づいて、本件プレートを着用しての就労の申入れが、労働契約上、債務の本旨に従つた労務の提供といえるかどうか、この申入れを拒絶した被告会社の措置が正当かどうかについて検討する。

1  労働者は誠実に職務に従事すべき義務を負うことは、労働契約の性質から当然のことである。したがつて、労働者が勤務時間中にその職務と関係のない行為を行うことは原則として右義務に違反することとなり、この場合に右義務違反が成立するためには必ずしも現実に職務の遂行が阻害されるなどの実害が発生することまでは要しないものというべきである。そして、被告会社の前記就業規則八条の定めも、このことを明らかにしたものと解される。

また、就業規則九条、自動車部係員服務規程六条は、公共の交通機関としての被告会社の事業遂行に当たり、従業員に制服の着用を義務づけることにより、このような業務に従事する者としての品位の保持、職場規律の維持を図り、もつてその対外的信頼を確保するとともに、交通の安全に寄与するとの趣旨に出たものと解される。したがつて、これらの規定によつて直接に義務づけられているのは制服を着用することであつて、これらの規定がそれ以上に所定の制服以外のものは一切着用してはならないとする趣旨のものとまでは解し得ないとしても、制服の着用によつて得られる右効用を減殺するものを付加着用することは、これらの規定に反するものといわなければならない。

更に、就業規則九六条一項は、災害防止の見地から、災害を発生させるおそれのある行為を禁じているのであつて、同項の規定に基づいた自動車部安全作業心得四条六項が「腰に手拭を下げたり、その他不要のものを身につけないこと。」と規定しているのは、この趣旨を具体化し、所定の制服以外に安全を阻害し災害を招来するおそれのあるものの着用を禁じているものと解されるから、このようなおそれのあるものを所定の制服の上に着用することは、これらの規定に反することになるのは明らかである。

2  以上の見地から、本件プレートの着用行為についてみる。

まず、本件プレートの着用が原告の職務と無関係なものであることは明らかであるところ、プレートを着用して就労することは、就労を行いつつ、同時に、プレートに表示された一定の表現活動を継続して行うことにその意義及び目的があるのであるから、単に、プレートを着用すればそれで一切の行為が完了し、爾後は着用者の提供する労務に欠けるところがないものとはいい難く、むしろ、着用者においては、就労中に職務とは関係のない自己の表現活動を行うことから、必然的にプレートを着用しつつ就労していることを常に意識せざるを得ないものである。したがつて、プレートの着用によつて直接には職務遂行に障害が生じないとしても、着用者は職務上の注意力の集中を欠くといわなければならないから、誠実に職務に従事すべき義務に違反するものということができる。

また、本件プレートは硬質プラスチツク製であつて、縦一〇センチメートル、横一四センチメートルというプレートとしては著しく大きなものであるうえ、その着用方法もピンで制服上着の左胸部に留めたというにすぎないのであるから、これを着用することは、その記載内容とも相まつて制服着用の効用を減殺することは否定できず、更に、これを着用した上で作業に従事するときは、作業内容及び作業姿勢のいかんによつては作業に支障を来すおそれもあることは前記認定のとおりであり、その結果、原告自身あるいはその同僚に対する事故を誘発するおそれもないとはいえない。したがつて、本件プレートの着用は、前記の各服装関係規定にも抵触するものである。

本件プレート着用行為は、以上のように労働契約や就業規則で定められた義務に違反するが、これに加えて、本件プレートが表示する内容は、いわゆる狭山裁判に関するものであつて、それ自体被告会社の支配可能な領域外の事柄であるばかりか、その文言中には職場の同僚に対して職場放棄を呼び掛ける趣旨の記載もあり、その形状がプレートとしては著しく大きなものであることをも併せ考慮すれば、原告が本件プレートを着用して就労するときは、職場の同僚の注意をこれに引き付けてその職務に対する注意力を低下させ、また、職場内に違和感を醸成して職場秩序を乱すおそれがあつたものということができる。

3  そうすると、原告が本件プレートを着用したままで就労すべきことを申し入れたとしても、これをもつて労働契約上の債務の本旨に従つた労務の提供であると解することはできず、原告の就労の申入れは、不完全な労務の提供であるといわなければならない。

そして、被告会社は、原告の上長である淡島営業所の所長、助役らにおいて再三にわたり本件プレートを取り外して就労するよう説得し、また、原告が所属する東急労働組合淡島分会の渡辺分会長においても同様の説得をしたにもかかわらず、原告はこれに全く応じず、本件プレートを着用したままで就労することに固執したのであるから、被告会社がこれに対抗する手段として就労拒絶の措置をとつたことは、やむを得ない正当なものとして是認することができる。

4  なお、原告は、被告会社の電気部変電区二子玉川園第一変電班に所属する木下豊が、本件当日原告と同一のプレートを着用して就労したのに、被告会社から取外しを命じられることなく就労を終え、処分等も受けていないという事実を取り上げて、プレート着用のままで就労することが職場秩序を乱すという主張は理由がないと主張する。しかし、証人木下豊、田地野寛慈及び樫原博昭の各証言によれば、木下がプレートを着用して就労した事実はあるが、木下とは別の場所で勤務していた同変電区の田地野区長や酒井助役が木下のプレート着用の事実を知つたのは、原告のプレート着用の報告を受けた被告会社本社において他の勤務場所で同様の事例があるかどうかを照会した結果であつて、田地野区長らは右の事実を知ると直ちに、酒井助役において、木下に電話でプレートを取り外すよう説得し、この説得中に勤務時間が終了してしまつたため就労を拒絶するに至らなかつたことが認められるのであり、また、これに対して何らかの処分をするか否かは被告会社の裁量権の範囲内の問題であるから、原告の主張事実をもつてしても、右の判断を左右するものではない。

四  再抗弁について

1  原告は、本件プレートの着用は正当な組合活動として行われたものである旨主張する。しかし、前記認定事実によれば、原告は、部落解放問題に対する自己の個人的見解に基づいて自らの判断で本件プレートの着用を行つたものであるから、これは労働組合としての活動ではないことが明らかであるし、仮に、組合活動の意味を広くとらえ、これをも組合活動に当たると解したとしても、勤務時間中に組合活動をすることが当然に許容され、この場合に賃金も当然に支給されるべきであるとする理由はないから、この点に関する原告の主張は失当である。

2  次に、原告は、勤務時間中にワツペン、プレート等を着用して就労することは、被告会社においてこれを許容しており、労働者の慣行的権利として承認されている旨主張する。

そして、いわゆる春闘の期間中に、東急労働組合の組合員がワツペン、バツジを着用して就労したことがあることは当事者間に争いがない。しかし、ワツペン、バツジを撮影した写真であることに争いがない乙第一三号証の一、二、弁論の全趣旨により原本の存在と成立が認められる乙第二四号証、証人一柳昭治、小島茂及び樫原博昭の各証言によれば、右のワツペン及びバツジの着用については、東急労働組合から被告会社に対して着用の旨の連絡及びこれについての配慮方の要請があり、被告会社においてその形状、大きさ、材質等からみて安全上支障がないことなどを確認のうえ、これを容認しているにすぎないことが認められる。

次に、腕章、ネームプレート及びリボンを撮影した写真であることに争いがない乙第二〇号証の一ないし三、弁論の全趣旨により成立が認められる乙第二一号証、証人小島茂及び樫原博昭の各証言によれば、被告会社は従業員に対し、就労中に自動車検査員の腕章や検査主任者のネームプレートを着用させ、年末年始の安全総点検期間などには全員にその趣旨のリボンを着用させていることが認められる。しかし、右各証拠によれば、これらの着用は、東京陸運局や社団法人日本自動車整備振興会等からの指導により、被告会社が職務の遂行に必要かつ有意義なものとして着用を命じたものであること、これらの腕章、ネームプレート等は、その材質が柔らかいビニール製や布製であつたり、あるいは、その形状が本件プレートに比して小さなものであつて、着用した際の作業に対する支障の程度も本件プレートに比して僅少なものであることが認められ、本件プレートの着用とはその性質を異にするものである。

更に、証人一柳昭治の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和五三年二月二七日ころプレートを着用して就労したことがあるが、このときは被告会社においてプレート着用のままでの就労を拒絶するとの趣旨が徹底しておらず、上長がこれを看過してしまい、爾後このことが問題となつて、原告に対しプレート着用の上での就労は禁ずる旨の注意が与えられていたことが認められる。

これらの事実によれば、過去にワツペン、プレート等を着用して就労した事実があるからといつて、被告会社において本件のようなプレートを着用して就労することが慣行的権利として成立していたものと認めることは到底できない。

五  以上説示したとおり、被告会社がした就労拒絶は正当であるから、原告の本件請求は理由がない。

よつて、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 今井功 片山良廣 星野隆宏)

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